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巣鴨信用金庫について

巣鴨信用金庫のあゆみ

1922年(大正11年)4月

皆が望んだ、“わが町の金融機関”の誕生

「巣鴨信用金庫」の前身である「有限責任信用組合巣鴨町金庫」の設立。
「相互扶助の精神に則った会員組織の金融機関」として、巣鴨町界隈の町民の出資によって設立されました。第一次世界大戦(大正3年~大正7年)の勝利による好景気の反動による不景気(大正バブル)で全国に横行した“銀行による貸し渋り”などに対する庶民による反骨の狼煙(のろし)でもありました。

巣鴨町役場の一画にて営業開始

巣鴨町役場の一画にて営業開始

豊島区史に詳しい「巣鴨総攬」(大正14年2月5日発行)

巣鴨信用金庫設立当時の事柄が記載されている「巣鴨総攬」(大正14年2月5日発行)

1939年(昭和14年)~1945年(昭和20年)

第二次世界大戦中

第二次世界大戦中は、国家総動員体制のもとで政府の金融統制下に置かれることになり、当金庫も開店休業の状態のまま終戦を迎えました。

1946年(昭和21年)3月

皆に望まれた町の金融機関の新たな創業

「やっぱりいざという時は、地元の金融機関が頼りになる」、「一日も早く再開してもらえないだろうか」、日増しに強まる町の声を受け、焼け残った事務所に寄せ集めの机を並べて営業を再開しました。

1951年(昭和26年)

信用金庫法の制定と“巣鴨信用金庫”の誕生

戦後の地域復興のため、経営基盤が弱く一般的な金融機関からの融資が受けにくい中小企業をサポートするための民間金融機関の必要性を認識した法案が可決。昭和26年6月に「信用金庫法」が制定され、同年10月に新生「巣鴨信用金庫」が誕生しました。

1954年(昭和29年)~1979年(昭和54年)

高度経済成長期~オイルショック

1954年から1973年まで続いた「高度経済成長期」の時代は、1973年のオイルショックによって終焉を迎え、1979年には2度目のオイルショックに見舞われましたが、日本企業は徹底した省エネ努力により、困難を克服しました。当金庫は、この25年間に“狭域高密度”に徹して、地域の皆様とともに少しずつ店舗網を拡大していきました。

1986年(昭和61年)~1991年(平成3年)

平成景気(バブル経済)

1986年頃から始まる平成景気を迎えました。当金庫は、預金獲得競争が激化する中、これまで以上に狭域高密度に徹し、業容と店舗網を更に拡大。1988年には、預金高1兆円を突破しました。

1991年(平成3年)~

バブル経済の崩壊

「東京23区の地価だけでアメリカ全土の土地が買える」とさえ言われたこの時期の不動産価格は、投機の過熱により高騰を続け “バブル(泡)”のように膨らんでいきました。しかし、実体経済からかけ離れた“バブル経済”は「不動産業への融資規制」等による地価の急落で泡のように消え、以後、「失われた10年」「失われた20年」と言われる長く厳しい不景気な時代を招くことになりました。

1997年(平成9年)~

「喜ばれることに喜びを」

現理事長田村和久の就任を機に、創業の理念に立ち還り、「喜ばれることに喜びを」をモットーに掲げ、「私たちの仕事は金融業ではなく、金融サービス業である」として、全役職員の意識改革に取組むことになりました。金融機関特有の「上から目線」を徹底的に排除し、従来の業務をすべて「お客様目線」で再構築することになりました。

現理事長田村和久

現理事長田村和久

2005年3月18日(平成17年)

「ホスピタリティ」・「金融ホスピタリティ」を商標登録

「喜ばれることに喜びを」というモットーをお題目にせず、さらにお客様に喜んでいただくために金融サービス業から前人未踏の「金融ホスピタリティ」の領域へ。「ホスピタリティ」と「金融ホスピタリティ」を商標登録。

商標登録

商標登録

~2016年(平成27年)

第六回「日本で一番大切にしたい会社」大賞 実行委員会特別賞受賞

第6回「日本で一番大切にしたい会社」大賞において、巣鴨信用金庫が金融機関で初めて実行委員会特別賞を受賞しました。この賞は、“企業に携わる人の幸せ”にこだわっており、「職員、家族、お客様、地域社会を大切にすれば自然に業績もついてくる、そのような〈人を大切にする企業〉を1社でも増やしたい」というコンセプトで行われています。

まさに当金庫の「お客様に喜んでいただくことに徹していれば、自ずと“利益は後からついてくる”」という企業理念そのものであり、当金庫はこれからも人に対する優しさや思いやりを心根に持ち、ホスピタリティ溢れる取り組みで一層精進していきたいと思っています。
主   催:「人を大切にする経営学会」
審査委員長:坂本光司氏「日本でいちばん大切にしたい会社」著者

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